ぴーかん☀ノート

日々出合ったできごとで感じたことなどをつづります

北野武×ピカソ 進化が止まらない NHK日曜美術館

NHK日曜美術館のスタジオに北野武が登場しました。
あまりにもなじみすぎて、どうして今までこういう企画がなかったのかと思ったくらい。
 
残念ながら、たけしさんの映画はほとんど見ていないのだけど、彼が“ブルー”にこだわった時期があったというのは知っています。
 
ピカソにも「青の時代」があり、番組でもたけしさんに「ブルー」の色に対する思いを聞いていました。
たけしさんは、「自然の中にいつもあって、ほかの色を必要としない色」と定義していましたね。
 
でも、ピカソもたけしさんも、その時には「ブルー」にこだわりを持っていたのでしょうが、それは一過性のものだったんですね。ピカソの変遷ほどの極端さはないにしても、たけしさんもブルーの時代は過ぎていったようです。
 

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同じスタイルを続ければマンネリ化する!?

「私は一枚の絵を描く。それからそれを破壊する。
一枚の絵は破壊の集積である。しかし、何も失われはしない」
ピカソは言います。
 
同じスタイルを続ければ、それはマンネリ化してしまいます。
「1つのスタイルで、いろんな時代、たとえば、戦争の時代があり、平和の時代がある。ピカソのスタイルの変貌は、そのままピカソ自身と時代の雰囲気の変化に応じてスタイルを変えていったともいえる」
ピカソの研究家で早稲田大学名誉教授の大高保二郎氏は、彼のスタイルの変遷を代弁してくれます。
 
ピカソの絵のスタイルの変化を、たけしさんは、「同じことをいつまでもやってられないんじゃない。飽きちゃって」みたいなことを言っていましたが、それはたけしさんも同じなのかしら。。
 
ピカソの絵に対するたけしさんの反応と感想が、とても興味深かったです。
本質をついていると思いました。
 

ゲルニカ”という作品

1937年に描かれたゲルニカは、当初、無差別爆弾の被害に遭ったゲルニカの様子を、爆撃を主体に描く予定だったとのこと。なのに、この作品に関しては、何度も習作が描かれ(当時の愛人のカメラマンの女性が何枚も写真に撮っています)、完成作品には習作で描かれていたものが取り除かれていたり、表現の荒々しさが緩和されていたりしています。
 
そのあたりのことを大高氏は、こう説明しています。
ピカソにとって作品というのは、その時や場所というものを離れて、永遠に生き続けることを願っていたと思う。当初の段階では、ゲルニカにはプロパガンダで握りこぶしなどが描かれていた。しかし、そうしたものを一切排除して、人類共通の遺産ととしての絵画、そういうものをつくり上げた」
 
確かに、ピカソゲルニカを何度も描き直しています。
自分の故郷が爆撃されてそれを作品にしようと思った当初は、憎しみや悲しみの感情に突き動かされていたかもしれません。でも、彼は作品として仕上げるために、時空を超えて人々の心をつかむために、感情を昇華したのではないでしょうか。
 
「牡牛は牡牛。馬は馬だ。鑑賞者は結局、見たいように見ればいいのだ」
 

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最晩年の作品“男の顔”とは?

驚いたことに、ピカソの最晩年の作品がスタジオに登場したのです!
「男の顔」
その作品を見たたけしさんの感想も的を射たものでした。
 
ゲルニカ以降、あまり評価されなくなっても、ピカソは絵を描き続け、「やっと子供らしい絵が描けるようになった」と言っていたようです。
 
最後に、たけしさんは、
ピカソの運の良さというのは、自分の年齢とか体とかに一切関係なく、好きなことをやれる境遇に自分自身の実力で来ちゃった。それは幸せだなぁと思う。うらやましい。」とのこと。
 
 
実は、30数年前に筆者はニューヨークの近代美術館で「ゲルニカ」に会っています。
写真で見ていて作品になじみはあったけれど、あれほど大きなものだとは予想していなかったので、驚いた記憶があります。
 
それからしばらくして、ゲルニカピカソの故郷スペインに帰ったと聞きました。
今はどこにいるのでしょうか。。