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ぴーかん☀ノート

日々出合ったできごとで感じたことなどをつづります

“ヨーコさんの言葉”で“友情”について考えてみた

Eテレで日曜日の朝に放送される“ヨーコさんの言葉”という番組が好きです。
たった5分という短い時間に凝縮された「深さ」に考えさせられることが多いからです。
 
100万回生きたねこで有名な、あの絵本作家の“佐野洋子”さんの、読み聞かせのような、エッセイのような言葉に引き込まれます。
テレビで絵本を見ているような、(もしかしたら紙芝居のような?)凝縮された5分間に響く言葉が詰め込まれています。
 

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友人が思い出させてくれたこと

 
先日のヨーコさんは、ある友人について語っていました。
その友人は、見栄っ張りで、うそつき、派手好きでカッコばかりつける人でした。
 
その友人が鼻の骨を折って入院し、ヨーコさんはお見舞いに行ったのです。
行ってみると、鼻の周りにぐるぐる包帯を巻いていて、のぞくのは目と口だけ。
骨折の原因を聞いても答えてくれません。
トイレで鼻を骨折したらしいのだけど、どこのトイレかはおしえてくれないのです。
 
でもその瞬間、それまで友人として少し軽んじていたところがあったはずなのに、突然体の中から溢れるような思いが湧いてくるのです。
「アンタ、死ぬんじゃないよ。絶対死なないで」
 
ヨーコさんは一瞬で了解するんですね。
 
『この人は、私のバカなところ。ダメなところ。嫌なところ、
下らないところを引き受けていてくれたのだ。』

 

 
『この人がいなかったら私の嫌なところ、下らないところは行き場を失って
私の中にあふれかえって、生きてはいけなかったのだ』

 

 
そして、こうも言うのです。
 
『立派な尊敬に値する友人だけを持っていたら、
私は何と貧しい土に生きている生き物だったろう』

 

 
 

友達の嫌なところは自分のシャドウ!?

 
友達は自分の鏡なんですね。
いいところも、嫌なところも全て、同じようなものが自分の中にも存在している。
 
友人でなくても、なぜか嫌い、という人の中に、自分のシャドウを見ることがあります。
理由ははっきりしないけど何故かひどく嫌い、という人物がいたら、その人の中に自分のすごく見たくない部分があるのかもしれません。
認めたくないでしょうが。。
 
反対に、一緒にいると気分がいいという友人は、自分の認めてほしいところ、いいところを引き出してくれてるということがあります。実は私にもそういう友人がいます。
 
ちょっとめげるようなことがあっても彼女といると、自分はまだ価値のある人間なんだと感じることができるのです。何も励まされるわけではないのだけれど、普通に会話をしていても、自分にもいいところがあると気づかせてくれる。そういう人は貴重です。
 
でも、そういう人に言葉の栄養をいつももらうばかりでは申し訳ないですよね。
たまには自分の方からも言葉のプレゼントを返したいもの。相手に気づかれないように。
 
そのためには、いつも相手のことをよく見ていることが必要かもしれません。
相手が喜びそうなことを考えて、些細なことから言葉にして言ってみる。
相手が自然と受け取りやすいように工夫して。
 
その時にうれしいと感じてもらえなくても、家に帰ってから、今日はとても楽しかった、と思ってもらえたら成功です。
 

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最後に

 
ヨーコさんは自分が入院して手術をしたとき、まだ抜糸をしていない状況で病院からその友人に電話して入院費用を借りたことがあるそう。
 
ある時は友人の方から電話があり、「今日はあなたと一緒だからね」と言い含められたことも。
 
気が付いてみると、お互い「ここ」というときにはお互いを選んでいたわけです。ほかにも友達はいたでしょうに。つまり、お互い、いざというときに言いやすい相手だったということなんでしょうね。
 
あなたには無様な自分を素直に見せられる友だちがいますか?